やまおくのからなし

大学院生のたわごと

都市の空気は自由にする

 大変遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

松の内もあけ、寒中お見舞い申し上げます、の時期になってしまった。

 

 東京にいる母が、調布駅で押されて転倒したので、という大義名分のもと(実際には、クリスマスに東京で会いたい人がいたので)大学院の冬休みが始まった12月22日に即、東京に戻った。

 

 福岡が合わないのか(別に福岡が嫌いなわけではないのだが)、単に東京に大切な友達等や家族を置いてきたこともあったからか、大変リフレッシュできて、本当に気が晴れた。先週末まで、東京にいた。合計3週間近くいた。今週から大学がはじまるので、福岡へ戻った。

 

 福岡で抗うつ剤を飲みながら、勉強していたのが嘘のようだった。もちろん、冬休み中は、指導教員がくださった宿題や独語はかかさず続け、身体の母の面倒をみながら、住み慣れた街で、10年以上付き合いのある親友と過ごしたり(寝ずに20時間ほどノンストップで話したほど、価値観が合う大切な親友だ)、歳のほど近い従姉妹と飲みにでかけたり、大学時代のゼミの友達と思い出話をしたり、大学時代の指導教官とトルコ料理を食べにいったりして(忙しい中、時間を作っていただいて、本当にうれしかった)、自分は視野が狭まっていたんだな、と気付かされて、肩の荷が降りたようだった。

 

  本来とは異なる意味なのをあえて承知の上でいえば、「都市の空気は自由にする」のかもしれないと思った。

 

 指導教官と食事している間、大学院での生活、福岡での生活環境(もちろん、学業や大学院の指導教員のせいではない。本当によくしてもらっていると思う)について語りながら、ボロボロ泣いてしまった。迷惑な顔ひとつせず、聴いて下さった先生に感謝してもしきれない。

 

 あまり自覚はしていなかったのだが、あらゆる人に「福岡にいるとき、しんどそうだったけど大丈夫?環境変えてもいいと思うよ」「気付いてないかもしれないけど、福岡に越してから、だいぶヤバいと思う。戻ってきなよ」と言われたが、やっぱり、今の研究を続けたいし、今の大学院の指導教員も非常に親切にしてくださるし、ここまで進学するのに、私なりに努力してきたし、多くの人に協力してきた部分もあるし、犠牲にしてきたものもあるので、もう少し頑張っていきたいと思う。親にも迷惑をかけるが、やっぱり、自分で選んだ道なので、責任を取る必要があると思う。

 

 正直、福岡に戻るのが怖くて、親友と歩きながら、池袋のサンシャイン通りで「福岡は全然嫌いじゃないし、先生も親切なんだけどさ、ってか福岡嫌いになったら、これから博士(課程)までいくのにさ、ほとんど20代が地獄じゃん、福岡は悪くないんだよ、でも私は福岡に戻んないといけないんだよ。」などと訳の分からない供述を繰り返してしまったりもしたが、おそるおそる福岡に戻り、引きこもって独語を読み、苦悩に対する痛み止めのように、モーニング娘。ばかり聞き(福岡にきてから、痛み止めを打つように、モーニング娘。ばかり聞くので、すっかりハロオタになってしまった。久住小春鈴木香音が好きだ。)週が明けて、大学院の授業にはいつも通り参加できたし、心配していたのが嘘のように、気が晴れている。

 

 東京で自己肯定感を取り戻したと思う。

もうすぐ修士課程1年生も終わるので、自分の居場所は福岡だけじゃない(東京にまだ自室も残っている)と自分をごまかしながら、心と筆を折らずに、修論まで頑張っていければと思った。私の人生なのに、どうでもいいことに振り回されたくないと思った。早く楽になりたい。今に見てろよ。…なんてね。

 

 大森靖子が好きな親友と、大森靖子の『さようなら』の歌詞について話した。

私がとても好きな歌だ。「わからないなら死ねばいい わたしはまだ歩ける」の歌詞が好きだ。はじめて聞いた大学一年生の頃、「死ねばいい」なんて人に吐いたら「かわいそう」だと思ったが、私も私の生活を守りたいので、あまりにも私の心身共にすり減らし、私に過剰介入してくる人は、心のなかから追い出したいと思って、「死ねばいい」という歌詞を聴いたら、ものすごく気が楽になった。

 「死ねばいい」と吐いてから、「わたしはまだ歩ける」と自分にいいきかせて、もう少し歩いてみようと思った。福岡でも生きてるよ。

 

 

 

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